赤字は全海運の出来事、青字は内航業界の出来事、黒字はその要点
昭和12年(1937)10月 | 大日本機帆船組合連合会設立(会長・竹内義台=松竹回漕店社長) |
神戸の『県会議事堂』で発会式。戦時統制に対応 | |
昭和12年(1937)2月 | 海運統制令公布施行 |
昭和12年(1937)5月 | 日本海運協会設立 |
昭和12年(1937)6月 | 船員保健法全面施行 |
昭和12年(1937)9月 | 臨時船舶管理令公布(10月施行) |
昭和12年(1937)11月 | 海運中央統制輸送組合設立 |
昭和14年(1939)4月 | 海運組合法公布(12月施行) |
昭和15年(1940)5月 | 全国の地区機帆船業者を34地区に区分し、それぞれの地区機帆船組合結成 |
東京、千葉、神奈川、新潟、静岡、愛知、三重、北陸、大阪、京都、兵庫、和歌山、徳島、土佐、広島、山陰、愛媛、岡山、香川、山口、関門、若松、博多、長崎、有明海、熊本、鹿児島、日向、大分、沖縄、東北、南部北海道、西部北海道、東部北海道の各地区機帆船海運組合。所属船腹991,755総㌧ | |
昭和15年(1940)5月 | 日本船主協会が解散し、日本海運協会設立 |
昭和15年(1940)9月 | (第1次)全国機帆船組合連合会設立(理事長・鶴丸広太郎=鶴丸汽船社長) |
東京・深川の清澄公園内『大正記念館』で発会式。副会長・竹内義台、専務理事・半間巌 | |
昭和16年(1941)5月 | 近海汽船同盟会が近海汽船協会、小型汽船統制委員会が近海汽船統制委員会と改称 |
戦時下の我国海運界は大型汽船の日本海運協会、小型汽船の近海汽船協会、機帆船・帆船・曳船等の全国機帆船海運組合連合会の3組織に集約・統制 | |
昭和16年(1941)6月 | 機帆船外航統制組合設立 |
昭和16年(1941)8月 | 戦時海運管理要綱閣議決定 |
昭和17年(1942)3月 | 戦時海運管理令公布・施行 |
船舶の国家管理と船員の徴用 | |
昭和17年(1942)4月 | 逓信省海務院が機帆船回漕統制会社設立要綱発表 |
関東、千葉、神奈川、新潟、静岡、愛知、三重、山陰、愛媛、岡山、宇部、徳山、北陸、大阪、兵庫、和歌山、徳島、土佐、広島、築後、唐津伊万里、佐賀、熊本、鹿児島、日南、博多、佐世保、長崎、上日向、大分の地区機帆船運送と、関門機帆船雑貨運送、若松機帆船石炭、香川海運の33社。回漕統制組合は発展的に解消 | |
昭和17年(1942)7月 | 船舶運営会設立(政府代行機関として国家使用船舶を一元的運営) |
昭和18年(1943)1月 | 戦時標準型機帆船の設定と計画造船実施 |
昭和18年(1943)6月 | 大手汽船各社による機帆船運航会社設立 |
郵船近海機船、三井近海機船、山下近海機船、大阪機船、川崎近海機船、辰馬近海機船、日産近海機船、栗林近海機船、北海機船、神戸近海機船の11社 | |
昭和18年(1943)9月 | 木船海運協会設立(理事長・中野金次郎=日本通運顧問) |
戦時海運令に基づき全国機帆船組合連合会を改組。地区海運組合は支部となる | |
昭和21年(1946)5月 | (第2次)全国機帆船組合連合会設立(会長・中野金次郎=日本通運顧問) |
戦時海運管理令、海運統制令の廃止に伴い木船海運協会を廃止。各地区支部が地区別海運組合に | |
昭和21年(1946)4月 | 日本近海汽船海運組合設立 |
昭和21年(1946)6月 | 国家管理機帆船の国家使用解除始る |
昭和22年(1947)8月 | (第2次)全国機帆船組合連合会解散 |
海運組合法の廃止に伴い解散。法的裏付け失い全国的組織失う | |
昭和22年(1947)6月 | 日本海運協会解散し日本船主協会設立 |
昭和22年(1947)8月 | 日本近海汽船協会設立 |
昭和22年(1947)9月 | 船員法公布施行 |
昭和23年(1948)3月 | 日本機帆船業会設立(会長・竹内義台=前掲) |
(第2次)全機連解散後の空白埋めるため任意団体として設立。会員は地区組合(業会)と運航団体 | |
昭和23年(1948)6月 | 木船積み運賃改定 |
昭和23年(1948)9月 | 地区機帆船融資実施 |
昭和24年(1949)6月 | 機帆船商業協同組合設立認可 |
昭和24年(1949)6月 | 海上運送法公布(8月施行) |
昭和24年(1949)8月 | 機帆船のマル公運賃廃止 |
昭和24年(1950)9月 | 800総㌧未満の鋼船民営還元 |
昭和25年(1950)3月 | 船舶運営会解散しGHQが商船管理委員会(CMMC)設置 |
昭和25年(1950)4月 | 海運民営還元を完全実施 |
昭和25年(1950)4月 | 京浜機帆船回漕協会設立 |
昭和25年(1950)4月 | 北海道炭運賃同盟、九州山口炭運賃同盟、北海道木材運賃同盟結成 |
昭和25年(1950)5月 | 木船運送法公布(事業登録制度、標準運賃制度) |
昭和25年(1950)8月 | 低性能船舶買入法公布施行 |
昭和25年(1950)9月 | 日本船主責任相互保険組合設立 |
昭和25年(1950)12月 | 運輸省が「機帆船の輸送調整について」発表 |
昭和26年(1951)4月 | 船舶職員法公布 |
昭和26年(1951)4月 | 日本木船相互保険組合、全日本木船相互保険組合設立 |
昭和26年(1951)6月 | 日本機帆船業会解散 |
昭和26年(1951)7月 | (第3次)全国機帆船組合総連合会設立(会長・鶴丸実次=鶴丸汽船専務) |
任意組合で設立。東京・丸の内『精養軒』で発会式。副会長に竹内義台と金箱信。略称「全機連」と決める | |
昭和27年(1952)5月 | 木船運送法公布(7月施行) |
昭和28年(1953)10月 | 内航船主会が日本近海汽船協会と改称 |
昭和32年(1957)3月 | 北海道炭、九州山口炭、北海道木材の3同盟解散し内航運賃同盟結成 |
昭和32年(1957)6月 | 小型船海運組合法公布(10月施行) |
調整組合制度採用による組織化で競争力強化狙い機帆船に500総㌧未満の小型船を加えて法対象に。各地で組合結成 | |
昭和33年(1958)10月 | 全機連解散 |
昭和33年(1958)10月 | 全国海運組合連合会設立(会長・鶴丸実次=前掲) |
小型船海運組合法に基づく中央団体として設立。副会長に百束賞、茅野完、加藤繁一、上野益三、専務理事・高橋義雄。会員は室蘭小型船、青森、東北小型船、新潟県機帆船、関東沿海、東京地区機帆船、横浜地方、静岡小型船、三河地区機帆船、中部沿海、三重県機帆船、北陸、大阪、兵庫の各海運組合と、中国地方、四国地方、九州地方の各海運組合連合会。東京・三田『日本海運倶楽部』で発会式。略称「全海運」と決める | |
昭和34年(1958)3月 | 2代目会長に茅野完(東海商船社長)就任 |
昭和37年(1962)5月 | 小型船海運業法公布(10月施行) |
機帆船に500総㌧未満の鋼船を法規制の対象に | |
昭和37年(1962)8月 | 船主団体・全国小型船主団体協議会設立 |
昭和38年(1963)3月 | 外航再建整備二法の国会審議で内航対策を付帯決議 |
昭和38年(1963)4月 | 運輸大臣が懇談の場として内航海運問題懇談会(座長・小山亮)設置 |
上記付帯決議に基づき『内航対策』検討。7月に提出された同懇談会の意見書では、①内航海運の輸送秩序の確立②船腹の過剰傾向の是正③標準運賃の告示④内航海運の近代化⑤石炭産業合理化による影響対策⑥税制上の措置⑦内航港湾の整備、が柱とされた | |
昭和38年(1963)10月 | 3代目会長に百束賞(北日本汽船常務)就任 |
昭和38年(1963)12月 | 内航海運対策推進全国大会開催 |
全海運と日本船主協会、近海汽船協会、近海タンカー協会、全国油槽船海運組合連合会、内航運賃同盟、小型鋼船輸送協議会の7団体で全国内航海運対策推進本部を結成し、内航海運対策の可及的速やかな実施を目指した。大会議長には推進本部長の長谷川種雄・近海汽船協会会長(三井近海汽船社長)。業界挙げて国会、運輸省に働きかけた | |
昭和39年(1964)2月 | 内航海運業法、内航海運組合法(内航二法)を閣議決定 |
昭和39年(1964)3月 | 内航海運対策推進本部を日本内航海運協議会に改組 |
昭和39年(1964)7月 | 内航二法公布(8月施行) |
昭和39年(1964)9月 | 輸送、鋼船船主、木船船主の三部会設置 |
昭和39年(1964)10月 | 小型鋼船輸送協議会を母体に全国内航輸送海運組合設立 |
昭和39年(1964)10月 | 内航運賃同盟母体に内好悪大型船輸送海運組合設立 |
昭和39年(1964)11月 | 近海汽船協会と日本船主協会母体に全日本内航船主海運組合設立 |
昭和39年(1964)12月 | 近海タンカー協会と全国油槽船海運組合連合会が合併し全国内航タンカー海運組合設立 |
昭和39年(1964)12月 | 運輸省が初の適正船腹量と最高限度量を告示 |
昭和40年(1965)9月 | 日本内航海運組合総連合会設立(会長・渡辺一良=新和海運相談役) |
内航5海運組合の総合調整機関として誕生。内航5海運組合の合同委員会は解消 | |
昭和40年(1965)10月 | 4代目会長に山本新一(山本機船社長)就任 |
昭和40年(1965)11月 | 全日本海員組合が海運史上空前の65日の長期ストに突入 |
第4波スト突入にまで発展し、翌41年1月末に政府斡旋により妥結。停船した内航船は延べ4,543隻に及び、我が国経済に多大な打撃を与えたがこれが契機となって内航海運の重要性が見直され、内航対策実施へと繋がった | |
昭和41年(1966)5月 | 政府が内航海運対策と内航海運業法の一部改正を閣議決定 |
内航海運対策の骨子は、①総㌧ベース1対1.5の解撤比率により3年間で13万総㌧の内航船と近海船を代替建造する②解撤及び建造する者に対して財政資金による融資や金融機関への利子補給を実施する③内航余剰船腹の共同係船を実施する④内航海運業法の一部改正により事業の許可制を実施する、等であった | |
昭和41年(1966)6月 | 運輸省が内航標準運賃を告示 |
告示された運賃は、石炭が室蘭-京浜、関門-阪神、鉄鋼が関門-京浜、京浜-阪神、関門-阪神、石油が京浜-中京、徳山・下松-阪神の3品目、7航路。内航海運業法に基づき設定し告示したもの | |
昭和41年(1966)7月 | 日本内航海運組合総連合会に船腹調整委員会設置(委員長・梶川増太郎=新日本近海汽船社長) |
内航海運対策に基づくスクラップ&ビルド、共同係船の推進のために内航5海運組合による合同委員会に代って設置 | |
昭和42年(1967)2月 | 調整運賃実施 |
各海運組合は目標値として掲げられた標準運賃の実現を目指し、運輸省の認可を得て自主調整による調整運賃を設定した。設定品目と航路は標準運賃と同様だったが、荷主の壁は厚く、業界挙げて決起大会を開く等の経緯もあったが、荷主の理解が得られて実施されたのは12月に入ってだった | |
昭和42年(1967)3月 | 第1次共同係船実施 |
初年度目標50,000重量㌧でスタートしたものの、申し込みは鄭重で50隻、29,919総㌧にとどまった。前年下期からの内航市況好転が原因とされた | |
昭和42年(1967)12月 | 船腹調整規程の認可を受け建造公募実施へ |
船腹調整規程の認可を得て翌43年(1968)1月から、過剰船腹改称と老朽不経済船の解撤による船質改善を狙った業界による自主調整の建造公募が実施された。この時、代替建造の引当となるスクラップの売買を禁止し、スクラップ価格を安値安定させるために一定料金を定めて総連合会が窓口となる納交付金制度が設けられた。解撤者には交付金が支給され、建造者からは納付金が徴収された。第1回建造公募の承認船は、304隻、102,200総㌧ | |
昭和43年(1968)2月 | 第1回建造公募承認 |
内航総連合会の第1回建造公募には433隻、198,000総㌧の応募があり、このうち304隻、102,200総㌧が適格船として承認された。建造公募は4月に第2回、8月に第3回が開催され、以降は定期的に開催された | |
昭和43年(1968)9月 | 解撤船船骸完全処理監査業務開始 |
昭和44年(1969)10月 | 内航船舶表示板作成・交付の窓口業務開始 |
昭和44年(1969)10月 | 内航海運業の許可制完全実施 |
昭和45年(1970)10月 | 貨物船の建造公募延期、のち中止 |
内航総連合会は景況の急速な後退による過剰船腹の拡大から、一旦募集した貨物船の建造公募を中止し、のち公募を凍結した。公募凍結期間は2年6ヵ月に及んだ | |
昭和46年(1971)12月 | 運輸省が『内航海運構造改善対策要綱』通達 |
昭和46年(1972)5月 | 5代目会長に立元盛重(東福海運取締役)就任 |
昭和47年(1972)3月 | 第2次共同係船実施 |
内航総連合会は運輸省の認可を受け15ヵ月間にわたり、延べ137隻、106,669重量㌧の貨物船を係船。船舶整備公団による解撤後3年以降に代替建造する場合にS&B比率を軽減する減船策と合わせ不況対策とした。係船交付金総額は10億2,727万円となった | |
昭和47年(1972)6月 | 沖縄の本土復帰に伴い同航路の配船調整実施 |
昭和47年(1972)12月 | 自動車と鋼材の内航臨時投入承認 |
昭和48年(1973)2月 | 内航船舶経費調査を開始 |
昭和48年(1973)2月 | 内航業界と鉄鋼、自動車業界との建造再開に向けた運賃適正化会談 |
昭和48年(1973)5月 | 運輸省が新規許可業者に3隻または900総㌧以上の所有船腹義務づけ |
昭和48年(1973)6月 | 第1次共同解撤実施 |
前年の第2次共同係船とともに計画されたもので貨物船135隻、53,265重量㌧が解撤され、その引当資格を内航総連合会が買い上げた。買上交付金総額は12億500万円に達した | |
昭和48年(1973)6月 | 建造調整要領設定しS&Bを貨物船重量㌧、油送船立方㍍に変更 |
昭和48年(1973)6月 | 6代目会長に八百村稔(光産汽船社長)就任 |
昭和48年(1973)6月 | オペーレーター、オーナー、取扱業の3部会を設置 |
昭和48年(1973)12月 | 内航総連合会が業界に燃料油消費節約呼びかけ、運輸省・通産省・石油連盟に燃料油確保要請 |
昭和48年(1973)12月 | 油送船の調整運賃廃止し、協定運賃実施(翌1月内航タンカー運賃協定設置) |
昭和49年(1974)4月 | 船舶の法定耐用年数短縮 |
2,000総㌧以上の油送船13年、同貨物船15年、2,000総㌧未満の油送船11年、同貨物船14年に | |
昭和49年(1974)5月 | 運輸省に自家用船、貨物フェリーの規制を要請 |
昭和49年(1974)5月 | 港湾環境整備負担金制度導入を理由に入港料問題発生 |
昭和49年(1974)8月 | 運輸省が内航船の引当資格台帳を内航総連合会に移管 |
昭和49年(1974)10月 | 石炭、鉄鋼の調整運賃廃止し、貨物船は荷主との個別運賃契約へ |
昭和50年(1975)2月 | 全海運改革案決定 |
全海運百年の計を立てるため常任理事会の中に小委員会を設けて1年がかりで検討して来たもの。骨子は①地区単一組合の直接加入を原則とするが、地域的問題に対処するため、実状に応じて連合会の加入を認める②議決権数は地区組合の組合員数に応じて決めるが、地域連合会の議決権数はその構成地区組合を1会員とみなす③役員定数は参加地区組合数の約2分の1を目処として理事を選任し、その数はオペレーター、オーナーを同数とする④副会長を6名以内とし、その内訳は会長代理となる総務委員長、オペレーター・オーナー両部会長、会長指名の者とする、となっていた | |
昭和50年(1975)3月 | 貨物船の建造公募凍結中に解撤した休眠船を買い上げる方針決定 |
昭和50年(1975)5月 | 標準運賃廃止 |
昭和50年(1975)5月 | 運輸省が『自家用船舶の取扱について』を通達し、自家用船に定義づけ |
昭和50年(1975)10月 | 一般貨物船の基準船型決定し行き過ぎた重量㌧増加に歯止め |
99総㌧=350重量㌧、199総㌧=700重量㌧、299総㌧=1,050重量㌧、499総㌧=1,600重量㌧、699総㌧=2,000重量㌧ | |
昭和50年(1975)11月 | 全国砂利石材自家用船組合連合会(全自連)設立 |
昭和51年(1976)8月 | 6大港湾協議会と港湾環境整備負担金に見合う入港料徴収で合意 昭和52年(1977)3月 貨物船の第2次共同解撤実施 |
目標の20万重量㌧を上回る約24万重量㌧の申し込みがあったが、11月の審査で926隻、200,389重量㌧の買い上げを承認した。買上交付金総額は49億8,472万円に達した | |
昭和52年(1977)3月 | 自動車専用船とRORO船に見なし重量㌧数設定 |
昭和52年(1975)3月 | 営業・自家用砂利船の一元化構想まとまる |
昭和52年(1977)4月 | 運賃適正化運動実施 |
昭和52年(1977)5月 | タンカー組合が油送船の夏場対策(集中入渠等)実施。4カ年継続 |
昭和52年(1977)11月 | 内航海運危機突破大会開催。内航海運事業者700名、衆参国会議員22名参加 |
昭和53年(1978)3月 | 船腹調整規程変更認可受け貨物船のS&B比率を1対1.3に引き上げ |
昭和53年(1978)3月 | 上記に伴い余剰貨物船の引当資格をプールする船舶等融通事業実施 |
昭和53年(1978)7月 | 建造引当権の税法上の取扱決まる |
昭和53年(1978)8月 | 油送船も建造引当権高騰防止策で融通事業実施 |
昭和53年(1978)12月 | 内航海運動態調査開始 |
昭和54年(1979)2月 | 全自連と自家用砂利船(海陸船)の一元化で基本協定書調印、のち白紙還元 |
内航総連合会は、全自連と上記協定書及び覚書に調印した。これにより全自連は営業転用する自家用船を船種限定の一身限りとした上、その30分の8の比率で解撤することし、これに見合う措置として営業船に2.75倍までの船型拡大が出来る道が開かれた。しかし、全自連側は同年7月末までの期限内に所定の解撤量に達せず、結局はこの協定書が白紙還元となった | |
昭和54年(1979)10月 | 常時内航に就航しない船舶の引当資格が問題化 |
内航総連合会の第1回建造公募には433隻、198,000総㌧の応募があり、このうち304隻、102,200総㌧が適格船として承認された。建造公募は4月に第2回、8月に第3回が開催され、以降は定期的に開催された | |
昭和54年(1979)7月 | 内航タンカー運賃協定が燃料高騰でバンカーサーチャージ実施 |
昭和55年(1980)11月 | 全自連とあらためて一元化協定調印 |
総連合会は運輸省の立ち会いのもと、全自連と白紙還元されていた自家用砂利船(海陸船)の一元化で協定書及び覚書に調印した。全自連は57年9月末までに30分の8の解撤を実施するこことし、これにより5年間にわたる問題に終止符が打たれ、営業船も57年8月から船型拡大が認められた。また、自家用船は一定期間内航臨時転用ののち営業船に転用するこことしたことから、全自連は発展的に解消し、全国砂利石材転用船組合連合会が新たに設けられた。最終的に転用船は556隻、392,000重量㌧、解撤船は256隻、95,000重量㌧に達し、所定の解撤比率に不足する分として自家用船側から14億円が内航総連合会に納付された。運輸省は輸送秩序維持のため当初、転用船を貸渡事業者に限定して許可したが、本転用から5年経た61年4月に許可基準に達した転用船に運送事業者の許可を与えた。総連合会は62年7月、営業船の船型拡大が終了し、営業船・旧自家用船の条件を平等にする時期に来たとの判断から、『一身限り』の条件を外した | |
昭和55年(1980)11月 | 総連合会会長名で『用船料適正化について』通達 |
昭和56年(1981)5月 | バンコクでのESCAP内航海運セミナー開催に協力し講師団派遣 |
昭和56年(1981)5月 | 東南アジア海運視察団派遣し各国で海運事情視察し意見交換 |
昭和56年(1981)9月 | 全海運船主部会・全内船で標準貸渡料研究会設置 |
昭和56年(1981)12月 | 油送船の共同解撤実施 |
3年間継続する一挙解撤と、建造引当船解撤を先行させて3カ年に代替建造するスリープの2本立ての対策。解撤は初年度だけで85隻、82,118立方㍍、買上交付金66億2,417万円に達したが、スリープは3隻、5,471立方㍍に過ぎなかった | |
昭和57年(1982)6月 | 内航燃料油の粗悪化で資源エネルギー庁、石油連盟に適正油の安定供給要望 |
昭和58年(1983)3月 | 運輸省が貨物船と油送船の最高限度量設定を13年振りに復活し、事実上の内航の不況宣言 |
昭和58年(1983)7月 | 内航海運不況対策要綱実施 |
S&B引当比率を貨物船1対1.5、油送船1対1.1とし、うち貨物船の0.2、油送船の0.1は建造申請者の自主的供出とし、これを船舶等融通事業事業で買上。これにより58年3月末現在の船腹量と62年3月末現在のそれとを比較すると、貨物船は702隻、211,000重量㌧、油送船は226隻、239,000立方㍍の減船となった。貨物船が油送船より減船量の少ないのは、この間に自家用砂利船の転用があったからで、これを差し引くと貨物船はこの不況対策により実質1,258隻、603,000重量㌧の減船となっている。運輸省の最高限度量復活に始り、この減船対策と合わせ零細事業者の転廃業、集約・合併を促進するなど官民挙げての不況対策への取り組みだった | |
昭和59年(1984)6月 | 零細事業者対策として転廃業と集約・合併に助成金交付 |
昭和59年(1984)6月 | 運輸省が『内航海運構造改善指針』『生業的オーナーの取扱について』通達 |
昭和59年(1984)6月 | 運輸省が『内航海運業者に対する行政処分要領』『所在不明事業者等の取扱について』通達 |
昭和59年(1984)9月 | 違反プッシャー・バージの横行で最終処理方針決定 |
昭和59年(1984)10月 | 運輸省が『一体型プッシャー・バージの許認可取扱について』通達 |
昭和59年(1984)10月 | 不況対策の一環で貨物船のオペレーター対策要領決定 |
昭和60年(1985)2月 | 運輸省に違反船防止と取締強化を陳情 |
昭和60年(1985)5月 | 運輸省港湾局、各港湾建設企業に港湾工事での違反船使用防止を要望 |
昭和60年(1985)6月 | 油送船のS&B引当比率を1対1.2に引き上げ、引当余剰分の買上実施 |
昭和60年(1985)7月 | 海上保安庁が違反プッシャー・バージ摘発 |
昭和60年(1985)10月 | JASREP(船位通報制度)発足 |
昭和60年(1985)10月 | 運輸省が『内航海運組合の規模の適正化(海運組合の再編統合等)に関する指導の徹底方について』通達 |
昭和61年(1986)5月 | 経団連が初めて船腹調整の弾力化求める |
昭和61年(1986)5月 | SOLAS条約第2次改正発効でケミカル、ガス船の構造設備規制等強化 |
昭和61年(1986)6月 | 埼玉県が荒川の河川利用輸送で試験運航開始 |
昭和61年(1986)6月 | 貨物船のS&B引当比率を1.3に引き下げ |
昭和62年(1987)3月 | 運輸省が最高限度量を廃止 |
昭和62年(1987)4月 | オペレーターの使用船稼働状況調査を実施 |
昭和62年(1987)5月 | EC内陸水運視察団派遣 |
昭和62年(1987)6月 | 7代目会長に増井義己(増井海運社長)就任 |
昭和62年(1987)6月 | 油送船休業給付金制度実施 |
昭和62年(1987)7月 | 運輸省が関西新空港会社と埋立工事用土砂運搬船の建造の取扱で合意し、自家用船に歯止め |
昭和62年(1987)11月 | 鋼材輸送で外航船の内航臨時投入決定 |
昭和62年(1987)12月 | 会長名で用船料の適正化を通達 |
昭和62年(1987)12月 | 公正取引委員会の私的懇談会・中小企業問題懇談会が「船腹調整に期限づけ」を提言 |
昭和63年(1988)3月 | 日本鉄鋼連盟に運賃の適正化を要望 |
昭和63年(1988)3月 | RORO船、土砂運搬船、砂・砂利専用船のS&B引当比率を1対1に緩和 |
昭和63年(1988)3月 | 経団連が『運輸等主要分野別の規制緩和に関する要望書』を提出 |
昭和63年(1988)4月 | 日本鉄鋼連盟運輸委員会とトップ会談 |
昭和63年(1988)11月 | 臨時行政改革推進協議会が『公的規制のあり方について』答申 |
昭和63年(1988)11月 | 営業権価格抑制の緊急対策、RORO船の定義を決定 |
平成元年(1989)2月 | 内航総連合会会長の私的懇談会・内航海運問題懇談会設置し規制緩和問題で外部の声を聞く |
平成元年(1989)4月 | 油送船のS&B引当比率1対1.1に緩和 |
平成元年(1989)4月 | 船員法の一部改正で700総㌧以上の船舶は船員の労働時間を週48時間に短縮 |
平成元年(1989)5月 | コンテナ船、石灰石専用船、炭酸カルシウム船のS&B引当比率1対1に緩和 |
平成元年(1989)5月 | 運輸省が『事業休止事業者の取扱について』通達 |
平成元年(1989)10月 | 『全海運組合活性化要綱』設定し組織強化と活性化推進 |
平成元年(1989)10月 | 『全海運船員対策対応計画』設定 |
平成元年(1989)12月 | 船員対策の一環で若年者雇用奨励金制度、船員居住環境整備奨励金制度新設 |
平成元年(1989)12月 | 運輸省が『内航海運構造改善のための指針』通達 |
平成2年(1990)1月 | 日本鉄鋼連盟に運賃の適正化を要望 |
平成2年(1989)1月 | 船員対策の一環で各運輸局単位に内航船員確保対策協議会を設置 |
平成2年(1990)4月 | 全国の海員学校校長と初の懇談会開催 |
平成2年(1989)4月 | 小労則改正で700総㌧未満の小型船の船員も労働時間を週48時間に短縮 |
平成2年(1990)8月 | 全日本海員組合と初の公式会談 |
平成2年(1990)8月 | 海上保安庁に内航海運業法違反船舶の取締について要望 |
平成2年(1990)8月 | 全国の海員学校から校長他招き第1回海員学校就職懇談会を開催 |
平成2年(1990)12月 | 運輸省が内航運送取扱業を内航海運業法の対象から外し、貨物運送取扱事業法新設 |
平成3年(1991)1月 | 船中労委が小労則廃止、70条定員条項廃止、変形労働時間制存続などの船員法改正を答申 |
平成3年(1991)2月 | 高金利公団共有内航船に利子補給実施 |
平成3年(1991)3月 | 経団連運輸委員会に船腹調整制度の重要性を説明 |
平成3年(1991)3月 | 内航ケミカルタンカー運賃協定発足 |
平成3年(1991)3月 | 海上安全船員教育審議会(安教審)が船員教育のあり方で中間答申 |
平成3年(1991)3月 | 経団連が運輸規制緩和の要望書を提出 |
平成3年(1991)3月 | 経済同友会が運輸規制緩和で意見書提出 |
平成3年(1991)4月 | S&B引当比率緩和。貨物船1対1.1、油送船1対1.05に |
平成3年(1991)4月 | 運輸省が「モーダルシフト推進」を表明 |
平成3年(1991)4月 | 公正取引委員会が独占禁止法適用除外制度の見直しについて研究会レポート発表 |
平成3年(1991)4月 | 日本鉄鋼連盟と初のトップ会談 |
平成3年(1991)6月 | 増井義己が全海運から初の内航総連合会会長に就任 |
平成3年(1991)6月 | 安教審が海員学校を内航職員養成機関へ衣替えする船員教育改善案答申 |
平成3年(1991)8月 | 公正取引委員会が船腹調整の期限付き廃止を提言 |
平成3年(1991)9月 | 運輸省が貨物流通政策推進計画発表 |
平成3年(1991)10月 | 運輸省が当面の内航船員不足対策決定 |
平成3年(1991)12月 | 荷主向けの船員問題説明会を開催。定員超える盛況振り |
平成4年(1992)2月 | GMDSS(海上における遭難及び安全対策に対する世界的な制度)運用開始 |
平成4年(1992)3月 | 運輸省海上技術安全局長の私的懇談会・内航船員不足問題を考える懇談会が初会合 |
平成4年(1992)3月 | IMOが油の排出防止で1993年7月以降の5,000重量㌧以上の新造タンカーに二重船殻義務づけ |
平成4年(1992)3月 | 海運造船合理化審議会が「中長期的に船腹調整制度への依存解消しうる事業体質強化を図る」とした今後の内航海運のあり方を答申 |
平成4年(1992)4月 | 日本鉄鋼連盟運輸委員会と積荷保証船問題含む内航輸送について協議 |
平成4年(1992)4月 | 船員法の一部改正で70条定員条項と小労則廃止、700総㌧以上の労働時間を週44時間に短縮 |
平成4年(1992)4月 | 海事振興連盟が国民の祝日『海の日』設定を決議し、海運界中心に全国的な運動展開 |
平成4年(1992)4月 | 船舶職員法の一部改正手で海員学校本科に6ヵ月の乗船実習科新設し専修科を2年制に。海技大学校に2年制の3級海技士第4課程設置 |
平成4年(1992)12月 | 内航船員居住環境設備改善基準を一部改正し、BSアンテナと受信機を対象に拡大 |
平成5年(1993)3月 | 内航船員不足問題を考える懇談会が最終答申 |
平成5年(1993)4月 | 700総㌧未満も労働時間を週44時間に短縮 |
平成5年(1993)4月 | 船舶職員法施行規則の一部改正で海上自衛隊術科学校等も船舶職員養成施設に範囲拡大 |
平成5年(1993)6月 | 船員休暇給付金交付制度新設 |
平成5年(1993)6月 | 老朽船解撤等促進奨励金交付制度、油送船休業給付金交付制度を新設 |
平成5年(1993)9月 | 日本鉄鋼連盟とのトップ会談で積荷保証船協議機関の設置に合意 |
平成5年(1993)11月 | 積荷保証船問題で鉄鋼内航輸送連絡協議会設置。翌年12月までに12回開催 |
平成5年(1993)12月 | 経済改革研究会が規制緩和の報告書で独禁法適用除外カルテルの原則5年以内廃止を盛り込む |
平成6年(1994)2月 | 行政改革本部が独禁法適用除外カルテルを原則5年以内廃止で見直しすべきと指摘 |
平成6年(1994)6月 | 米国の沿岸船舶の近代化、安全対策調査で視察団派遣 |
平成6年(1994)6月 | 運輸省が『内航海運業の構造改善のための指針』通達 |
平成6年(1994)6月 | 石油積荷保証船について石油連盟との石油内航輸送連絡協議会設置 |
平成6年(1994)7月 | 運輸大臣が海造審に『今後の内航海運対策のあり方について』諮問。船腹調整の存廃巡り議論 |
平成6年(1994)7月 | 閣議で「個別法による独占禁止法の適用除外カルテル等制度については原則5年以内の廃止で見直し、平成7年度末までに結論を得る」と決定 |
平成6年(1994)8月 | 船腹調整の存続に署名運動展開し、国会議員102名に陳情 |
平成6年(1994)11月 | 全海運・全内船・タンカー組合共催で経営合理化相談会開催 |
平成6年(1994)12月 | 鉄鋼連盟と鉄鋼積荷保証船問題で基本合意 |
平成7年(1995)1月 | 兵庫県南部地震で内航海運災害対策本部設置し義援金拠出と救援物資の無料輸送等緊急対応 |
平成7年(1995)2月 | 船舶整備公団と鉄道整備基金の統合を閣議決定。平成9年10月運輸施設整備事業団発足 |
平成7年(1995)2月 | 運輸省が兵庫県南部地震で外国籍船の内航コンテナ・フィダー輸送を特別許可 |
平成7年(1995)2月 | 国民の祝日『海の日』(7月20日)法案成立。平成8年より実施 |
平成7年(1995)4月 | 船員法の一部改正で700総㌧以上の労働時間を週40時間に短縮 |
平成7年(1995)4月 | 700総㌧未満も労働時間を週40時間に短縮 |
平成7年(1995)6月 | 海運造船合理化審議会が「船腹調整への依存の計画的解消を図り、市場原理の活用による内航海運の活性化を図る」と今後の内航海運対策について答申 |
平成7年(1995)12月 | 行政改革委員会規制緩和小委員会が規制緩和報告書発表 |
平成8年(1996)3月 | 政府が閣議で「荷主の理解と協力得て5年目処に環境整備進め船腹調整の解消具体化」決める |
平成8年(1996)4月 | 運輸省が船腹調整解消への環境整備推進を通達 |
平成8年(1996)4月 | 特定石油製品輸入暫定措置法(特石法)廃止で石油の輸入自由化 |
平成8年(1996)6月 | 構造改善推進助成金交付制度新設 |
平成8年(1996)6月 | 運輸省が許認可基準緩和 |
平成8年(1996)6月 | 北海道定期航路同盟、大阪内航運賃協定を廃止 |
平成8年(1996)7月 | 第1回国民の祝日「海の日」実施 |
平成8年(1996)10月 | 内航船の最低定員決める。499総㌧5人、2,999総㌧以上10人 |
平成8年(1996)10月 | 経済産業審議会の物流のワーキンググループが船調の早期廃止を求める報告書(中条レポート) |
平成8年(1996)11月 | EUが日本の港湾の事前協議制度をWTOに提訴 |
平成8年(1996)11月 | 沖縄県の国際都市形成構想契機にカボタージュ廃止論浮上 |
平成8年(1996)11月 | 船舶安全法施行規則一部改正で7海域について一部20海里を越える直航海域の拡大を承認 |
平成8年(1996)12月 | 行政改革委員会の規制緩和小委員会が内航海運の船腹調整に原則5年以内の廃止を盛り込む |
平成8年(1996)12月 | 運輸省が需給調整規制の撤廃方針示す。運政審海上交通部会で検討 |
平成9年(1997)1月 | 船腹調整事業の存続を国会陳情 |
平成9年(1997)1月 | 地球環境保全で業界の行動計画策定 |
平成9年(1997)1月 | 日本海でロシアのタンカー“ナホトカ”が重油流出 |
平成9年(1997)2月 | 運輸省が船腹調整廃止の一環で内航海運組合による債務保証業務案示す |
平成9年(1997)3月 | 規制緩和推進計画の再改訂閣議決定。「船腹調整については平成9年度末までに具体的結論得ることとし、コンテナ船とRORO船は平成10年度末までに船腹調整の対象外、その他の船舶については荷主の理解と協力を得ながら4年間を目処に所要の環境整備に努め船腹調整依存の解消を図る」と明記 |
平成9年(1997)4月 | 通産・運輸・建設3省協力した総合物流施策大綱を閣議決定 |
平成9年(1997)6月 | 8代目会長に四宮勲(宝松海運社長)就任 |
平成9年(1997)6月 | 公正取引委員会が優越的地位の乱用規制に関する報告書 |
平成9年(1997)7月 | 不況対策実施 |
平成9年(1996)7月 | 標準船型の拡大決める |
平成9年(1997)8月 | 海運造船合理化審議会で船腹調整の廃止に向けて内航海運暫定措置案検討 |
平成9年(1997)8月 | 運輸省が自家用船に総連合会の意見書添付を廃止 |
平成9年(1997)9月 | 内航船主の財産を守る会発足 |
平成9年(1997)9月 | IMOが2001年1月発効目処に大気汚染防止のため、廃油船上焼却炉要件をMARPOL条約付属書Ⅵとして採択 |
平成9年(1997)9月 | 地球温暖化防止で2010年にモ一ダルシフト化率を40%から50%に引き上げ決定 |
平成9年(1997)12月 | 地球温暖化防止条約の締結国が京都議定書を採択。日本の二酸化炭素削減目標率6% |
平成10年(1998)3月 | 『新規制緩和推進計画』閣議決定を受け、船腹調整事業廃止し5月から『内航海運暫定措置事業』への移行を決定 |
平成10年(1998)7月 | SOLOAS条約改正で構造・救命設備・航行安全・危険貨物輸送等について船舶安全法改正 |
平成10年(1998)9月 | 内航船主の財産を守る会発足 |
平成10年(1998)10月 | 経済団体連合会が内航海運暫定措置の早期廃止求める |
平成10年(1998)11月 | 油送船とケミカル船の協定運賃廃止に備え内航海運コスト分析研究会設置 |
平成10年(1998)12月 | 内航海運緊急不況対策決定。転廃業を促進 |
平成11年(1999)8月 | 関空2期工事の自家用土運船臨投問題決着 |
平成11年(1999)9月 | 全海運組織変更と部会・委員会規約改正で常任理事制廃止し、委員会に執行部による担当置き、理事相談役制を廃止 |
平成11年(1999)10月 | 経団連が行政改革本部に再度「政府支援による暫定措置事業の早期終了」を提言 |
平成11年(1999)10月 | 港湾EDIシステム(電子交換システム)が稼働 |
平成11年(1999)12月 | IMO総会で有機スズ系船底防汚塗料(TBT)の使用禁止に向けた新条約の制定に合意 |
平成11年(1999)12月 | 『内航海運船腹適正化共同事業』実施。手持ち資金16億円で過剰船腹買上げの追加措置実施 |
平成11年(1999)12月 | 行政改革本部が「暫定措置事業の15年度以降の納付金単価を押さえるべき」との意見書 平成11年(1999)12月 港湾審議会が21世紀の港湾整備・管理のあり方について答申。港湾整備に50年振りのメス |
平成12年(2000)1月 | 内航運賃・用船料適正化キャンペーンを全国展開 |
平成12年(2000)3月 | 政府が規制緩和3ヵ年計画再改定で「暫定措置事業の15年度以降の交付金の単価見直しについては事業収支を勘案しつつ、できるだけ単価を抑える方向で検討すること」を明記 平成12年(2000)6月 海事国際協力センターが解散、日本船員福利雇用センターと海事産業研究所が業務継承 |
平成12年(2000)7月 | 運輸省が任意によるISMコード認証制度を創設 |
平成12年(2000)9月 | 乗船研修制度(内航OJT)を実施 |
平成12年(2000)10月 | 経団連が2000年度の規制緩和改革要望で暫定事業の早期終了を提言 |
平成12年(2000)10月 | 廃家電のリサイクル輸送の実証実験実施 |
平成12年(2000)10月 | IMOが海洋汚染防止条約対象船のシングルハルタンカーの使用年限を現行の30年から25年に短縮することで合意 |
平成12年(2000)11月 | 需給調整の撤廃等を盛り込んだ改正港湾運送事業法施行 |
平成13年(2001)1月 | 省庁再編で国土交通省スタート発足 |
平成13年(2001)2月 | タンカー組合船主部会が石油元売9社を優越的地位濫用違反で公取委に提訴 |
平成13年(2001)3月 | 運輸省調査で内航海運の㌧㌔シェアが23年ぶりに回復 |
平成13年(2001)4月 | 資金不足のため暫定措置事業の解撤交付金支給を延期 |
平成13年(2001)4月 | 家電リサイクル法施行 |
平成13年(2001)5月 | 内航初の電気推進船竣工 |
平成13年(2001)7月 | 政府が第2次物流大綱策定 |
平成13年(2001)10月 | 新規事業として内航保険サービス㈱設立、e-内航発足 |
平成13年(2001)12月 | 財務省が暫定措置事業の資金繰りで政府借入保証枠を900億円限度とする条件提示 |
平成13年(2001)12月 | 日生農協の倒産で債権整理回収機構(RCC)が内航船14隻没収 |
平成14年(2002)1月 | 船主部会が内タン船主部会と運賃・用船料適正化決起大会を開催。衆参議員31名出席 |
平成14年(2002)4月 | 国土交通省が『次世代内航ビジョン』まとめる |
平成14年(2002)6月 | 暫定措置事業を資金管理制で交付金支払い繰り延べに |
平成14年(2002)9月 | 平成15~17年度暫定措置事業の納交付金単価漸減を決める |
平成14年(2002)11月 | 内航総連合会会長名で「定期用船契約の遵守について」要望書発行し注意喚起 |
平成14年(2002)11月 | 公正取引委員会が内航海運業を下請法の適用対象に内定 |
平成14年(2002)11月 | 自由民主党海運造船対策特別委員会が公正取引委員会が内航海運業界の不公正取引改善を要望 |
平成15年(2003)1月 | 公正取引委員会から内航業界に「内航運送業者と内航船舶貸渡業者との取引の公正化について」注意勧告通達 |
平成15年(2003)4月 | 船舶保険料率10年振りアップの12%増 |
平成15年(2003)2月 | 船主部会がタンカー組合船主部会と結成した船主連絡協議会に全内船が加盟。用船料値上げで船主が大同団結 |
平成15年(2003)3月 | 暫定措置事業で船齢15年超船の解撤交付金打切り |
平成15年(2003)4月 | 船主連絡協議会が内航主要元請運送業者に用船料改善要望。以降毎年、訪問し直接要望 |
平成15年(2003)4月 | 内航船員確保対策の一環で若年者雇用奨励金制度を発展させ若年船員OJT(船上教育訓練)制度創設 |
平成15年(2003)4月 | 船舶保険料率10年振りアップの12%増 |
平成15年(2003)5月 | 広島地裁の引当権訴訟で原告の船主が敗訴。10月に船主が広島高裁に控訴 |
平成15年(2003)9月 | 公正取引委員会に対し荷主の優越的地位濫用に特殊指定を申請 |
平成15年(2003)9月 | IMOのMALPOL条約付属書Ⅳ(船舶からの糞尿、汚水の排出規制)発効海洋汚染防止法、海上災害の防止に関する法律改正施行 |
平成15年(2003)12月 | 平成15年度下期以降の解撤交付金の枯渇が露呈 |
平成15年(2003)12月 | 交通政策審議会が規制緩和による内航活性化を答申 |
平成15年(2003)12月 | EUがシングルハルタンカーの規制強化をIMOに提案 |
平成16年(2004)4月 | 下請法改正施行で内航海運業にも適用拡大 |
平成16年(2004)4月 | 内航海運業が独禁法・優越的地位濫用の特殊指定対象となる |
平成16年(2004)5月 | 内航海運活性化3法(内航海運業法、船員職業安定法、船員法の一部改正)公布 |
平成16年(2004)5月 | 衆議院で暫定措置事業の円滑的な実施を付帯決議 |
平成16年(2003)7月 | 違反増㌧の正常化方針を打ち出す |
平成16年(2004)7月 | 内航燃料油が18年ぶりにkl当たり3万円台に高騰 |
平成16年(2004)7月 | 引当権訴訟が第2審も原告の船主が敗訴 |
平成17年(2005)1月 | 内航船正常化対策として㌧数表示板を配布し掲示義務づけ |
平成17年(2005)4月 | 船員法改正施行で16時間超連続航海の船舶に安全最少定員設定 |
平成17年(2005)6月 | 新規事業としてカタログ販売による全国物産品直販推進事業を立ち上げ |